11月から一カ月、母が緊急入院。初めて救急車に乗りました。家で看取るのが私の信条だったのに、あまりの苦しみ方にどうしても電話せずにいられなかった。この時から決断の連続でした。こんなに決めることがしんどいとはこの時、そこまでわかってはいなかったかもしれません。

肺に水が3リットルちかくも溜まっていたための心不全でした。もう一日遅かったら駄目だったかもしれないよ、と医者に言われて、思わず「ああ、もう一日辛抱すれば家で看取れたのか…」と思ってしまいました。ある種の敗北感。

実は9月以来は毎晩一緒にいて、ほぼ毎晩1時間おきに起こされて、トイレだのシンドイだの布団が重いだの寒いだの・・・。かなり参っていてたし疲れていた。そんなある日、晩ご飯の後、台所で洗い物をしていたら、ベッドにいた母が大きな声で「そのちゃん!」と呼ぶから、びっくりして飛んで行った「何?」すると、母は唐突に「いい仕事できた?」と聞く。「ん?仕事はがんばっているよ、でもね、今は洗い物してたのよ」と答えると、母はこのところ見せたことのないような、とても落ち着いた素敵な笑顔で「ふーん、洗い物。それも大事な仕事やね」と言った。その言い方と表情がすごく良くて、私は思わず《ありがとうございます》と心の中で手を合せました。

そんなひと時があってから、命があること、生きていることの凄さを私はそれまでとは違う観点から感じるようになっていたのです。不必要な延命治療はしたくない、とか、尊厳ある生き方が生きているということで、寝たきりになったら生きている意味がない、とか。そんな風に思っていました。でも寝たきりだったとしても、こんな笑顔を向けてくれる一瞬があったとしたら、それって宝石みたいに凄いことじゃない?その笑顔だけで私は元気になれたし、人を元気にする力が残っている人に生きる価値がないなんてこと絶対にないよなぁと、そんな風に思い始めたのでした。

なので入院してから次々と起きる決断の瞬間、本当に自分でもあきれるほど迷いました。1週間目にベッドから逃げようとして大腿骨骨折になった時、歩けない人生なんてという思いと、いや手術のリスクとかその後の心臓のことやなんかを考えて手術しないという選択もあるのだ、とも思い、でもやっぱり・・・と、一晩いや二晩くらい死ぬほど迷いました。その時主治医の先生が「どっちを選択しても、僕たちはその決断を尊重するし、どっちの選択でもそれが最善のことになるようフォローするつもりだからね」と言ってくれたのです。迷いぬいていた私の心を支えてくれる凄い言葉でした。結局、手術はしないと決めて伝えた時も「わかった、せずにどこまでリハビリできるか、がんばろうね。でもね、また明日になって気が変わってもそのたびに伝えてね、一度決めたからってそれに縛られることはないし、何度も気が変わったらそのたびに正直な思いを伝えてくれればいいんだよ」って。この言葉には本当に泣いてしまいました。

元気塾でもLes.8で「病院・薬との付き合い方」というテーマで話してきましたが、その中で伝えたインフォームドコンセント。医師からの情報提供つまり説明と納得。そのインフォームドコンセントをこんな風に自分が温かく受けることになるなんて想像もしていなかったのです。いつだったか、友人が痴呆症のおじさんの面倒を見ていて、ある種類の薬を使うかどうか、事務的にリスクとメリットを伝えられて、どっちにするか決めろと迫られたことがありました。まだ実の娘ならともかく姪っ子の自分がそれをどうやって決断できるのか、と言ったら「今はネットでもなんでも調べられるでしょう」と突き放すように言われたと嘆いていたのを思い出しました。インフォームドコンセントって医者の責任逃れなの?とその時も思った覚えがあります。

でも本当のインフォームドコンセントって、その患者や家族が必死で迷って辛い決断をしているのを十二分に尊重して、その辛さを精神的に支えるという心の温かさがなければ何の意味をなさないのだと今回、はっきりわかりました。インフォームドコンセントにはテクニックではない本当の「人間力」が必要なのだ、と。

1か月の入院中、3度の大きな決断がありました。本当に辛い決断だったけど、でもそのたびに先生の温かいまなざしに支えられて私は意思をもって自分なりの決断を下せたのだと思います。医者も病院も基本的には嫌いだけど、こんな医者がいるんだ、そんな人に出会えたことが本当に私にとっても母にとっても幸せで、感謝しかありませんでした。いい年の瀬になりそうです。  <ふくたに>