少しずつ母の荷物の整理を始めた。3年前に父が亡くなり、今の家に引っ越して2年半が過ぎる。この2年間は一度も二階へあがることがない。ミシンも、たくさんのアルバムも、ハギレも糸も、そのまま。

目が見えにくくなり、針に糸を通せなくなり、手足が不自由になり、あんなに好きだった布を切ったり縫ったりすることができなくなった。

考えてみると、私が物心ついたころから母とミシンや布や裁断台は切っても切れない物たちだった。学校から帰ると、母は糸くずや布切れでちらかった仕事場から「おかえり」を言ってくれた。3~4歳のころ、なぜかこのミシンの踏み台の上に座って、母が足で踏む調子に合わせ、揺れてたのを覚えている。そのころは母は一人で洋裁をしていたが、何人か縫い子さんを雇いにぎやかだったこともあった。でもいつの年末も、大みそかまで服を仕立てて、お客様のところへ持っていくのが夜。紅白は絶対一緒に見られなかったなぁ。そういえば、中学に入学した時、セーラー服を母が作ってくれたのだが、入学式の前日までまだできなくて、袖のホックつけを私も手伝った。でも、私がつけたホックはさかさまで、母に笑われたっけ。ウェディングドレスも母が作った。できちゃった婚の私が式を挙げる時にはサイズが合わなくなって、あわててもう一着作ってくれたので、私のウェディングドレスは2着ある。

先日、ミシンの写真を撮ってフェイスブックに載せたら、ほしいと言ってくださる方がいたのでお譲りすることにした。母に改めて聞くと、なんと母が18歳の時に買ったミシンなのだそうだ、65年間も母と一緒にいたわけだ。「このミシンでたくさん服を作って、たくさん稼がせてもらった」と笑っている。もらってくれる人がいたよ、というと、ぱっと顔を輝かせて「ほんと??」と言う。「良かった良かった」と何度も何度も言う。「それだったら糸もあげて、ハギレもあげて」といろんなことをおしゃべりする。そして母の青春をいろいろ聞くことができた。これが認知症?と疑うほど、まともだ。表情も豊かで、優しい顔をしている。

もっと昔のことを聞いてあげよう。母の人生をしっかり聞いてあげよう。私のルーツでもある、母の物語を。着替えを手伝い、トイレを手伝い、ご飯を作り、ベッドに横にならせて布団を掛けてあげる。毎日少しずつ自分一人でできないことが増えてゆく。だから「昨日といっしょ」というのは、すごいことなんだ。変わらないということは素晴らしいことなんだ、と思う。今日できたことをもっと喜んであげよう。今日できたことひとつひとつのことをしっかり覚えておこう。明日はもしかしたら、もう、できなくなるかもしれないことなんだから。   <ふくたに>