いきなり、おっとという感じですね。つい数カ月前まではこの言葉すら知らなかった「レビー小体型認知症」

考えてみれば、これだけ超高齢化社会になるとやっぱり避けては通れない問題なんだろうなと思う。

車は中古になれば部品を取り換えればOK、また新品みたいに走れるようになるけど、人間は臓器移植をのぞいて、部品とっかえ、ということはできないので、一生を通じて同じ部品で行くしかない。そうなると普段どれだけメンテナンスしきたか、大切に扱ってきたかが大きな差になってゆくのだろう。

昔こんな話を聞いたことがある。

カラダというのは、神様からの借り衣装。貸してもらってこの世に出てくるので、この世から去る時は返さないといけない。返す時に繕うこともせずボロボロになってたり、洗濯もせず汚れきっていたり、扱いが雑だったりすると、神様は悲しくなって、次に貸す時は、安もんの最初からくたびれてる古着しか貸さないのだそうな。その逆で丁寧に大切に扱ってきたことのわかる状態だと、神様はうれしくなって次はもっと良い衣装を貸してくれるのだと。

体を自分のものだと思うから、つい粗末にする。借りものだと思えば大切に扱うのに。なるほどなぁと思った記憶がある。

母はどうだったんだろうか。60歳の時はもう重度の狭心症で、70前でバイパス手術を受けて、3年前に父を看取り、そして今年83歳になるまで生きてきた。自分の体をどんなふうに扱ってきたのだろうか。そして自分の心を

今は半分くらいに小さくなって腰も曲がり、足もうまく一歩が出せない。そして見えないものが見える。彼女のベッドを占領する男や女がたくさん見えるらしく、眠れないと辛がる。幻視はレビー小体型認知症の特徴らしいが、私は初めての経験に戸惑うことばかりだ。

なんで~~~と心の中で呟く苛立ちは、いわゆる疑問詞ではなく、母の現実を受容できない私の側の問題だったと気付く。私よりも、幻視に悩まされる母の驚きや恐怖を思えば、それはそれは辛いにきまってるし、不安だろう。不安を増加させるのか、少しでも不安をなだめられるかは、私にかかっている、と思った。覚悟を決めた。

元気塾をやり続けていくこと、母を最期までしっかり見届けること、私にできることを精一杯やること。

今日ほど自分が今、健康でいることに感謝したことはない。元気だからなんでもできる、そう思えることに感謝。<ふくたに>